京都のお盆
日本の仏教の慣習に沿って先祖の霊をお迎えするお盆は、今では店舗や企業も休みを取り、家族旅行をする機会となっているが、多くの寺院では仏事が行われ、未だに沢山の家庭において供養を行っている。各家庭でお精霊さんをお迎えし、またあちらの世界にお戻りになれるようお見送りする一連の行事である仏事の行い方は、地方によっても様々のようだ。
京都のお盆は8月7日に始まり、16日の五山送り火で終わる。「大文字の送り火」として広く知られている行事はお盆のクライマックスを飾る。午後8時から、町を囲む山の斜面に文字と形が灯される。地元の人も観光客も盛大に五山送り火を見るために奔走し、屋台がでるような少々賑やかにも行われるイベントとなった。
では、いったい五山送り火とは、どのような意味があるのか、そして昔はどのような様子だったのだろうか。
京都で300年続いた薬種事業を営む商家に生まれ育った秦めぐみさんに話を伺った。現在も住まれている生家は、150年前に、300年前に建てられたときと同じように再築された家で、京都有形文化財に指定されている。
秦さんは、昔はかなり違っていたお盆の過ごし方だったと思い返す。
「一連のお盆の行事は各家庭において行われました。我が家は8月12日、ご先祖様の霊をお迎えしました。家の仏壇を飾り、精進料理を3日間お供えしたり、家に訪れたお客様をもてなすかのようでしたよ。そして静かにご精霊さんとお盆を過ごしました。
大人たちは世話しなく働き、子供たちは夏休みの真っ最中にもかかわらず遊びに出かけることも出来ない。16日は朝から大文字の山に登り、気持ちよく京都市内を一望しました。
だから夏休みの絵日記は、毎年「16日に大文字さんに登りました。」と描いたもので、恒例の夏休み中の行事だったんです。」と秦さんは回顧する。
大文字に登る前、早朝は先祖の霊を各家の屋根に送り出す作業がある。そこで精霊は五山送り火が灯されるのを待つためだ。
秦さんの幼少時代、まだ京都には高い建物がなく、京都の町家には火の見櫓があがあり、そこに上がると送り火が見えたそうだ。
午後8時に大の字が灯される。最初は点々と明りが見える程度で、徐々に綺麗な大の字が力強く浮き上がる。間もなく、ほかの文字や型が次々と灯され、五山の送り火となる。
「日が暮れて、夕食が終わると火の見櫓に上がり、同様にご近所さんも各家の火の見櫓に上がって屋根越しにご挨拶をします。『もうすぐ灯されますかねえ。』とか『今夜はよく見えそうですね。』と毎年同じ会話です。
ほとんど高いビルがない時代は、我が家からも五山が全部よく見えたものです。子供の頃の話ですが、、、。」と秦さんが話してくださった。