和紙礼讃

絵画や印刷から提灯、屏風、美術まで幅広く用いられている伝統的な紙、和紙は、日本文化の根幹をなす存在です。

千年以上にわたり手漉きされてきた和紙は、宮殿、住宅、寺院、茶道、舞台などで見られる障子の素材としても使われています。丈夫かつ繊細、そして半透明というその特徴は、空間を変える不思議な力を持っています。

 
 

大規模な欧米化が進んだ明治時代(1868 -1912)まで、和紙は伝統的日本家屋の建築的基礎でした。しかしその後、日常的な利用は大きく減少し、工業的に量産された洋紙と呼ばれる近代的な紙に取って代わられるのです。

著名な作家谷崎潤一郎は、思索的随筆『陰翳礼讃』の中で、これらの紙について次のように述べています。

「我々は西洋紙に対すると、単なる実用品と云う以外に何の感じも起らないけれども、唐紙や和紙の肌理を見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔らかい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。」

興味深いことに彼は、建設中であったモダンな自邸に障子の戸を設置したエピソードも明かしています。

「たとえば障子一枚にしても、趣味から云えばガラスを篏めたくないけれども、そうかと云って、徹底的に紙ばかりを使おうとすれば、採光や戸締まり等の点で差支えが起る。よんどころなく内側を紙貼りにして、外側をガラス張りにする。そうするためには表と裏と桟を二重にする必要があり、(中略)、さてそんなにまでしてみても、外から見ればただのガラス戸であり、内から見れば紙のうしろにガラスがあるので、やはり本当の紙障子のようなふっくらした柔かみがなく、イヤ味なものになりがちである。」

つまり、日本の美の庇護者であった谷崎は、1930年代にこの随筆を著した際、現代建築に和紙パネルを取り入れるという課題にすでに直面していたのです。

その後、都市の近代化に伴い、建築材料としての和紙は衰退していきます。煌々とした蛍光灯の下でろうそくの影は消え失せ、和紙製品の需要は減少し、多くの産地でこの手工業が失われ始めました。

京都の北に位置する、日本最古の和紙産地である福井もその一つです。越前和紙と呼ばれる手漉き和紙を確立したことで日本全国に名を轟かせた福井も、深刻な人材流出に直面し、後継者が見つからない状態でした。

遡ること20年以上前、和紙デザイナー·アーティストである堀木エリ子はこの危機的状況を知り、何とかしてこの重要な手工業を復活させなければと考えました。彼女は革新的な技術を通じて和紙の活用と再評価のための新しいアプローチを確立し、復興への道筋をつけたのです。

建造物が大型化していく中、堀木は、東京の成田空港第1ターミナルの到着ロビーをはじめとする現代的な家屋、商業施設、展示場、公共スペースに適した、手漉きかつオーガニックな大判の和紙を製造することにも成功しました。

伝統的家屋における和紙は、障子として完璧な存在感を示しています。その自然な陰影は、雰囲気を感じさせるダイナミックな視覚効果を生み出します。しかし、谷崎も語っているとおり、現代的な建物の外壁として使用するには多くの課題があります。

「燃えるとか、汚れる、破れる、変色してしまう、そして精度がないというようなマイナスの方向の特徴もあるわけですね。」と、革新とデザインを追及することに精を出す堀木エリ子は語る。

Genji Kyoto の建築 チーフデザイナーのジェフリー·ムーサスは、ホテルロビーの高窓に大型和紙ウィンドウのデザインを堀木エリ子に託した。室内にも外観にもダイナミックな光の効果を創造させる思索だった。時間帯と光の具合によって外観は太陽光と方角で変化し、室内は同様に醸し出す雰囲気と空間を変貌自在させる。

ムーサス氏いわく、「堀木さんの感性はホテルのコンセプトに完璧に合致します。伝統的な天然素材にこだわり、型にはまらず日本文化の要素を革新的な方法で表現する堀木さんとは長年建築や展示会のプロジェクトを共にした経験があります。我々の思考プロセスは非常に似ていると思います。」

「Genji Kyotoでは、和紙に銀箔を埋め込み、自然光だけで最適な表現素材を造り上げたのです。堀木さんの多くの作品は裏側からライトを照らすものが多いのですが、これはちょっと違います。」

「ロビーの和紙パネルの銀箔は、通常銀色に輝く効果があると思われがちですが、むしろ影を造ります。結果、昼夜自在に模様を造るのです。」

「更に、日中の太陽光線の量と角度、夜のロビーの照明によって、その模様は自然に室内と外観で反転します。」

長年確立してきた手順や伝統を、新しい方法で表現することを探求してきた日本人。日本人は常に古きに敬意を持ちつつも、変化と更新することも受け入れてきた。堀木氏はいう:

「伝統と言われている和紙の技術も1200年前には革新的であった。伝統と革新は対極にあるように使われるが、私は未来の伝統は現代の革新がなくては成り立たないと考えている。」

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