マーク‧ピーター‧キーンが語る源氏京都の庭
日本の庭園とは、日本文化の要素を全て表現したものに他ならない。島国という地理、気候、人々の自然との関わり方、時代と共に移り変わる美学、そして宗教的概念の影響も反映している。 また庭園はしばしば建築の延長であるため、日本の歴史における時代の建築様式や概念も反映している。
日本庭園について深く学ぶべく、このテーマについて幅広く執筆活動をされている Genji Kyoto のガーデンデザイナー、マーク・ピーター・キーン氏は、京都在住の学者であり作庭家であり、その話を聞いた。
まず、マークが日本庭園のデザイナーになる決意をした経緯について聞いた。
「最初に私を惹きつけたのは、日本文化全般において、その簡素で飾り気のない質の良さでした。」と、ニューヨーク市生まれ、コーネル大学卒(ランドスケープアーキテクチャー専攻)のマークは言う。来日後、80年代半ばに京都に定住し、日本で初のランドスケープアーキテクトとしての就労ビザを取得した方だ。
以来、マークは個人の家、企業、寺院、公園の作庭に携わり、最近では京都の鴨川に面したこのホテルの庭園設計を完成させた。
「日本庭園の特徴は、幅広い定義があり、特定するのは難しいです。 しかし、庭園の美しさの根底は、大自然を反映した側面と、人の手で造形する側面のふたつが調和のとれた絶妙なバランスであることです。」
この自然と造形の概念、そして庭園の美しさを生み出す調和のとれたバランスについて考えると、三島由紀夫の著書「金閣寺」の一節を思い出す。 主人公は友人の生け花が、生き生きとした自然の本質を観賞させると説明している。
『柏木の手は微妙に動いて、錆(さ)びた小さな剣山を水盤の中に並べ…. 彼の手の動きは見事という他はなかった。小さな決断がつぎつぎと下され、対比や均整の効果が的確に集中してゆき、自然の植物は一定の旋律のもとに、見るもあざやかに人工の秩序の裡(うち)へ移された。あるがままの花や葉は、たちまち、あるべき花や葉に変貌(へんぼう)し、その木賊や杜若は、同種の植物の無名の一株一株ではなくなって、木賊の本質、杜若の本質ともいうべきものの、簡潔きわまる直叙的なあらわれになった。』(「金閣寺」三島由紀夫著より)
日本庭園の作庭家たちは、何世紀にもわたって理想的な自然を表現することを目指したのかもしれない。 マークは更にその先を追及する。自然の一部である人間が成す表現が、最高の状況で見出される場であることを。
「日本庭園には、デザインする人の意図から見出される特定の表情がある。バランスや、形、質感、配置、象徴的な意味などだ。」
「そしてまた違う表情は、作庭したデザイナーが造ったものではなく、月日が経つに連れて徐々に現われる表情です。庭の面倒を見る者によって出て来る表情や季節が織り成す表情です。」とマークは語る。
マークは、Genji Kyoto の建築家兼チーフデザイナーのジェフリー・ムーサス氏と協力し、Genji Kyoto のロビーの中庭に枯山水、各階に坪庭、屋上階に森のようなガーデンを手掛けた。ホテルの周囲にある川や、山、街の景色を存分に楽しめる工夫をしてくれた。
この動画では、マークの庭園のコンセプトや、ゲストに楽しんでいただくために凝らした技法について語る。
マークは庭園、ガーデニング、自然に関するフィクションやノンフィクションの作品を執筆しており、日本最古の庭園書「作庭記」の解説付き翻訳本 (Sakuteiki - Vision of The Japanese Garden) も著している。最新の本は、庭園、芸術、自然、仏教の概念に関するエッセイのコレクションである「オブ・アークス・アンド・サークル」(Of Arcs and Circles)。