私だけの道を探して: 総支配人 山口真緒のストーリー
嵐山からロンドンへ。ホテルのレセプショニストから、(コスタ‧コンコルディア号の遭難事故を生き抜いた)クルーズ船のホステスへ。エチオピアでのツアーコーディネーターを経て、ホテル カンラ 京都の客室部門マネージャーへ。
山口真緒が「源氏京都」の総支配人に就任するまでの道のりは、まさに「誰も通ったことのない道」でした。そして、彼女が培ってきた独自のDNAこそが、同ホテルを2年連続でミシュランキー獲得へと導いたのです。
彼女が掲げる哲学は、「スタッフ自身が楽しんでいなければ、お客様に喜びを届けることはできない」というもの。デジタル化やQRコードが普及する現代において、ホスピタリティはますます『人』が主役のビジネスとなっています。スタッフにとってもゲストにとっても、山口は源氏京都でしか味わえない空間、体験、そして機会を創り出したいと考えています。
“スタッフ自身が楽しんでいなければ、お客様に喜びを届けることはできない。”
すべてのはじまり
それは高校時代、一台の電車の中での出来事でした。山口は、自分と同じ高校生が外国人に物怖じせず英語で道案内をしている姿を目にしました。「もし自分が聞かれたら、どう答えていただろう?と考えました。英語を勉強しているはずなのに、言葉が全く出てこない自分にショックを受けたんです。その瞬間、流暢に話せるようになるまで英語を学ぶと決めました。京都にはたくさんの外国人がいます。誰とでも会話ができるようになりたかったのです。」
多様な価値観に触れることで、世界が広がるという両親の後押しもあり、山口はイギリスのコベントリー大学(キャンパスは英中部のコベントリー市)へ留学。卒業後、ロンドンの5つ星ホテル「ザ‧ランガム」にレセプショニストとして入社しました。日々の変化、世界中の人々との出会い、そして毎日訪れる挑戦に、彼女は仕事の醍醐味を感じていました。
2年後、さらなる冒険を求めて彼女は「コスタ‧クルーズ」に日本人ホステスとして乗船しました。 「日本人エンターテインメント‧スタッフの一員として、8ヶ月間船上で生活していました」。そんな中、32名の犠牲者を出したあの惨劇が起こります。2012年1月13日、コスタ‧コンコルディア号が無謀な操縦によりイタリア近海で座礁。山口を含む約5,000人の乗客乗員は、緊迫した避難劇の中で救助されることとなりました。
大学卒業式、イギリス小学校での日本文化教育、ザ‧ランガム‧ロンドンでの勤務、クルーズ会社での勤務、そして母になるまで - これまでの歩みのスナップショット
恐ろしい事故を経験した後も、彼女はもう一度クルーズの仕事を勤め上げ、その後エチオピアの旅行会社に転職。3年間、オペレーションマネージャーとしてツアーの企画だけでなく、日本の官公庁関係者やジャーナリストの視察にも同行しました。
山口はエチオピアでの勤務を通じて、現地の代々伝わる文化や人々と触れ合い、豊かな経験を積みました
「本当に興味深い経験をたくさんしました。近所の人にランチやコーヒーセレモニーに招かれたり。休日にアパートの裏で男性たちが牛や羊を屠殺し、その肉をみんなで分け合ったり。バイクの肩に羊を担いで走る姿も日常茶飯事でした。」
「一度、雑誌の取材チームとダナキル砂漠へ向かった際、道中で寝袋にくるまってキャンプをしたことがありました。何もない場所で、満天の星空の下で眠る。その美しさは言葉にできないほどでした。自分がこれほど素晴らしい世界を見られる幸せを実感すると同時に、自分が知っている世界がいかに小さな断片に過ぎないかを思い知らされました。エチオピアで出会った子供たちのキラキラした瞳は、今も強く心に残っています。」
「当時はまだ電気や水道などのインフラが不安定でした。もっと上を目指したいと意気込んでいた一方で、物事が計画通りに進まないことも多々ありました。」
転機が訪れ、帰国した彼女は「ホテル カンラ 京都」のフロントに入社。4年後の2020年には客室部門マネージャーに就任します。
「そこは、素晴らしい和の趣があり、『全員がコンシェルジュ』というコンセプトを掲げたホテルでした。当時の総支配人、友岡大輔氏の『時間をかけてスタッフを理解し、信頼関係を築く』というアプローチには、大きな刺激を受けました。彼の指導には、今も深く感謝しています。」
尊敬するメンターであり、ホテルカンラ京都の元総支配人である友岡大輔氏とともに
2022年1月、コロナ禍の収束が誰の予想をも超えて長引く中、山口は「源氏京都」の総支配人に就任しました。これは、男性社会と言われる日本の宿泊業界において、極めて稀なケースです。その3ヶ月後にホテルはオープンしましたが、日本がインバウンド客に対して再び国境を開くには、さらに6ヶ月の時間を要することとなりました。
リバービューやルーフトップガーデン、『源氏物語』から着想を得た意匠など、源氏京都はそのデザインや建築美で高い評価を得ています。しかし、ゲストがこの場所に再訪したくなる真の理由は、チームが醸し出す「心からの温かさ」にあります。多くのゲストがスタッフの名前を覚え、スタッフもまた、リピーターのお客様を友人 (時には家族のように!) 温かく迎え入れているのです。
ご満足いただいたゲストから届いた、心温まる励みになるお手紙
これが可能なのは、山口が初日から導入した「全員がすべてをこなす」という独特の文化があるからです。予約、フロント、F&B、ゲスト‧エクスペリエンス、マーケティング。そこに境界線はありません。全員で仕事を共有し、言葉に出さずとも通じ合う信頼関係と連帯感。それがゲストとの絆にも繋がっています。
“お客様を幸せにしながら、自分自身も成長しているんだ”
驚くべきは、山口がその場にいなくても、すべてが円滑に回っているということです。彼女は10ヶ月間、産休‧育休で現場を離れていましたが、源氏京都の「魔法」が解けることはありませんでした。
誰一人パニックに陥ることなく、崩れるものも何ひとつありませんでした。彼女がスタッフ全員に授けた自信と勇気が、彼女の不在という状況で見事に結晶化したのです。復帰したとき(赤ちゃんを連れて!)、彼女はまるで一日も離れていなかったかのように、自然にチームへと戻っていきました。
Genji Kyotoのスカイフォレストガーデンにて、家族三名で
いかにして、チームを築き上げたのか?
「日本の『おもてなし』のハードルは非常に高く、全部門の品質を統括するプレッシャーは計り知れません。」
「でも、総支配人としての経験がなかったからこそ、お客様、エージェント、サプライヤー、そして協力会社の皆様と直接関わり、誰よりも現場に近い視点で挑戦できていると自負しています。」
「鍵を握るのは『人』だと信じています。チームの全員と向き合うことを何より大切にしていますし、『お客様を幸せにしながら、自分自身も成長しているんだ』とスタッフが実感できるようなコミュニケーションを心がけています。」
「また、自分はすべてを知っているわけではありませんし、あらゆる面で完璧になれるとも思っていません。分からないことを聞くのをためらわないからこそ、業界のベテランの方々から多くのサポートをいただくことができました。」
「ハイアット リージェンシー 京都で10年間総支配人を務め、現在はホスピタリティ‧アカデミーを創設された伝説的なGM、横山健さんは、非常に寛大に助言や指導をしてくださいました。実際にホテルに来て一緒に館内を歩き、細かな点まで一つひとつ指摘してくださったのです。本当に刺激を受けるリーダーです。」
「ホテルは開業当初から、東京のレストラン「TWO ROOMS」のチームによるサポートも受けていました。」
「TWO ROOMSは、その安定したクオリティとイベント運営のノウハウにおいて非常に高い評価を得ています。彼らには、厨房設備のセットアップに関するアドバイスや、最初のメニュー開発を依頼しました。私には飲食部門(F&B)の専門知識が欠けていたため、彼らの存在は大きな助けとなりました。また、彼らは日本人だけでなく海外からのお客様への対応経験も豊富です。彼らのアドバイスは、非常に価値のあるものでした。」
19室の小規模ホテルにおいて、プール、スパ、その他の施設がなく、屋上庭園とロビーバーおよびレストランのみのホテルとして、ミシュラン‧キーを維持するための戦略は何ですか?
「ゲストの心に響く職人技と雰囲気を持ったユニークな空間を作り上げたデザイナーたちのおかげで、私たちは、おもてなしとゲストとの繋がりに集中することができます。」
ロビーに広がるコンテンポラリー枯山水の「浮舟庭」
鴨川を一望する、夕暮れ時のスカイフォレストガーデン
「効率的で一貫性があり、そして心のこもったサービスを提供することとは別に、私たちは単なる宿泊場所場以上の存在であることを目指しています。私たちは、Genji Kyotoが日本の美学と地元の文化を体験するための舞台となることを望んでいます。」
「結丸」の職人を招いての、ホテル内 水引体験アクティビティ
ホテル アクティビティの一つ、鵜飼理恵氏による客室でのサウンドヒーリング‧セッション
「アクティビティを厳選し、おすすめをカスタマイズすることで、カフェ、レストラン、工芸店、あるいは体験の担い手など、ゲストが地元の方々と交流する機会を作ります。これにより、ゲストは京都をより深いレベルで味わうことができ、また、私たちも近隣地域や都市に貢献することが可能になります。」
「これからは、地域のいろいろな仕事が手を取り合っていくことこそが、旅の体験として世界中のスタンダードになっていくと信じています。」
幼児のお子さん(2024年8月生まれ)を育てながら、山口はどのようにワークライフバランスを保っているのでしょうか。
「チームの支え、特に自分自身も親である同僚たちの存在なしには、やっていけないと思います。彼らからは本当にたくさんの励ましをもらっています。」
「同時に、『手放す』ことも大切だと考えています。帰りが遅くなればウーバーイーツを頼みますし、料理をするにしても本当に簡単なものです。子供の夕食が、納豆ご飯とバナナだけなんてこともあります。でも、一緒に絵本を読んだりレゴで遊んだりする時間を、親子で楽しんでいます。」
「今は仕事と育児で頭がいっぱいなので、あえて『何も考えない時間』を作るために、最近また茶道を始めました。」
「高校時代に茶道部に入っていたのですが、海外へ渡ったのを機に辞めてしまって。今改めて向き合ってみると、当時とは全く違う深みを感じています。お点前(てまえ)だけに全神経を集中させる時間は、私にとって非常に貴重なひとときです。心が落ち着き、生活の中に心地よいリズムを取り戻す助けになっています。」